【国防論】憲法九条・改憲・自衛隊に関する議論はなぜ混迷するのか?

4つの外交的立場

 国防という観点から、国家の外交的立場を整理すると、4つの立場が考えられる。

1. 非武装中立
2. 武装中立
3. 非武装非中立
4. 武装非中立

 4が、一般的な国家の立場、1は、fantasyだ。

 日本の敗戦後、マッカーサーは当初、日本の非武装中立(1の立場)を行おうとしたが、ロシアや中国に対する戦後の防共戦略を考えたら、1の立場は現実にあり得ないことにすぐに気が付き、非武装非中立(3の立場)を取らせることになった。
 そのため、憲法には、非武装を説く九条は存在していても、中立を説く条文は存在していない。

 こうして日本は、アメリカの防共対策の戦略的重要拠点として、アメリカの核の傘に守られるとと同時にアメリカの陣営へと組み込まれることになった。アメリカを中心とした連合国の占領下におかれ、それが1951年の日米安保条約まで続く。

 戦後実際に出来上がった日本の国際的立場というのは、憲法上も、国際条約上も、3の非武装非中立なのだが、当時、多くの日本人が連合国占領下で、1の非武装中立が実現したと思い込んでしまった。そして、憲法九条は、それを証明するものだと考えてしまった。

 しかし、GHQは、冷戦が深刻化する中で、3の非武装非中立も現実的ではないことを認識するようになった。
 そして、1950年、日本に防共の最前線として武装させたのが、自衛隊の始まりである。(発足当時は警察予備隊。)そして、1951年、日米安保条約が締結される。
 これで、日本の立場は4の武装非中立となった。

 日本の立場は、戦後、3の非武装非中立から4の武装非中立へと変化してきた。
しかし、多くの日本人の間で、戦後一貫して1の非武装中立の立場であったことが、信じられてきた。また、非武装中立が日本の取るべき立場だと信じられてきた。
 こうした認識の違いから生まれてきたのが、安保闘争であり、憲法解釈問題である。

独自の外交戦略の構築を

 国防論は、こうした認識の違いを埋めるところから始めないといけない。
 現実には、4の武装非中立の立場を取っているのだから、それを憲法上も明確にすること。

 そして、独自の外交戦略を構築すること。それは、対米依存を引き下げることでもある。

 対米依存を脱却して、独自外交を築くということは、反米を意味するのではない。
 日本では外交論が何かと、反米か反中か、親米か親中か、といったどちらにつくかといった議論に陥りがちだが、独自外交というのは、どちらにつくかを考えることではなく、選べる選択肢を増やし、常に第二第三の戦略を準備しておくことである。
 アメリカに依存できなかった時のことを考えて、第二第三の戦略を準備しておくということだ。日米同盟を重視すること、中国やロシアを利用すること、国際協調体制を築くこと、など、状況によって、さまざまな立場を選択できる余地を普段から構築しておくことが、独自戦略の意味だ。

 現在の日本の国防にとって最も重要なのは、日米同盟を維持することであるのは間違いない。だが、それしか戦略的選択肢がないというのは、国防論としては、あまりに稚拙でお粗末である。

 ラテンアメリカ諸国は、冷戦時にリオ条約によって、米州相互援助条約を結んだ(1947年)。しかし、ソ連崩壊後は、形骸化して有名無実の条約となった。そして、実際にフォークランド紛争の際には、何の役にも立たなかった。
 アメリカは自国の利益がないと考えれば、条約などあっさり無視する。

 現在、日米安全保障条約が維持されているのは、はっきり言って北朝鮮のおかげである。日米安保を絶対視している人は、北朝鮮に感謝しなくてはならない。
もし仮に、北朝鮮危機がなくなれば、日米同盟はリオ条約と同じように形骸化し有名無実化するだろう。そして、東アジア危機が生じた際に、アメリカが日本を守るという保証は何もない。その時のための選択肢を常に準備しておくというのが、独自戦略を持つということだ。